- 解説一覧
- Apidaeについて
基本情報
- 分類学的位置付け
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過去にはミツバチ科(Family Apidae)は一般に科として扱われており、それに含まれるマルハナバチ、シタバチ、ハリナシバチ、ミツバチの4群は亜科とされていた。一方で、ミツバチ科をミツバチ亜科に降格する考え方もあり、現在ではそちらが主流となっている。後者の場合には亜科として扱われていた各群は族として扱う。
現在世界で広く用いられているハナバチ分類体系(Michener, 2000)でもこの4族はミツバチ亜科に置かれているのだが、この「ミツバチ亜科」は、大幅に拡張されて、コシブトハナバチ亜科の多くのグループ(ヒゲナガハナバチなど)を取り込み、全19族を含んでいる。現在上記4群のみを指すときには「花粉籠ハナバチ(corbiculate bees)」と呼ぶことが多い。
参考文献
最終更新日:2020-08-12 ひろりこん
- 人間との関係
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蜜の利用は古くエジプトより行われており、4000年前、エジプト王の印にミツバチが使われていた。また3300年前のエジプト王の墓から蜂蜜が発見されている。アリストテレスはガラス箱でミツバチを研究し、聖書にもミツバチのことが書かれている。本格的なミツバチ研究は17世紀にオランダのスワンデルダムによりはじめられ、その後フランスのレオミュールによって実験や観察がくりかえされ、その記録に刺激されたフランソワ・ユベール(スイス生まれ、1750~1831)は失明という悪条件と闘いながら助手とともに研究を進め、現代養蜂の基礎をつくりあげた。このようにして発達したミツバチの研究は、17世紀に北アメリカに移入された。
日本では皇極天皇(641~645)の時代に百済の太子余豊がミツバチの房4枚を移入し、大和の三輪山に放蜂したのが最初であるといわれている。また養蜂については貝原篤信の大和本草(1708、宝永5)、小野蘭山の本草網目啓蒙(1802、享和2)に書かれている。しかし、ヨーロッパやアメリカで行われている養蜂が輸入紹介されたのは1873年(明治6)に田中芳男氏がオーストラリアから持ち帰ったドイツ式養蜂で、明治10年にはヨーロッパ種がアメリカから輸入され新宿御苑で飼育され、日本の近代養蜂のふたあけとなった。
参考文献
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形態
- 成虫の形質
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後脚脛節に距はない。雌の刷毛は後脚脛節で、花粉籠を形成する。後脚脛節内側の先端には、硬い刺毛が櫛状に存在する。
第1反上脈と第2反上脈が肘脈上に接する部分の距離は第2反上脈の長さの2倍で、第1反上脈より長い。
外葉は非常に伸長し、下唇亜基節はV字型、基節は先端が細まる。中舌は伸長し、通常弁舌がある。
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