- 解説一覧
- ビワ(Eriobotrya japonica)について
目次
基本情報
- 学名の解説
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属名 Eriobotrya はギリシア語の erion(羊毛)と botrys(ブドウの房)から。種小名 japonica は日本の、の意味。
参考文献
最終更新日:2020-04-30 キノボリトカゲ
- 人間との関係
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果実は食用。シロップ漬けの缶詰にもされ、最近ではビワ酒の原料にも利用されている。また中国料理で使われる杏仁の代用ともなる。
現在食用となっているものの大半は、幕末頃中国から渡来した唐ビワを改良したもの。
ビワ茶は「枇杷葉湯」と呼ばれ、かつて暑気払いの飲み物として売られていた。枇杷葉湯売りの独特の口上は、金魚売りとともに庶民の夏の風物詩であった。
葉を枇杷葉といい、サポニン、アミグダリン、ビタミンB1、タンニンなどを含み、煎じて鎮咳、去痰、下痢止め薬などとする。
湿疹、あせもには浴湯料として用いる。また民間薬としても利用される。リュウマチなどに、生薬を火であぶり、患部に貼ると痛みがやわらぐ。
材は帯紅灰褐色で硬く(気乾比重約0.86)、木刀、装飾用建材、杖などに加工される。
中国原産とされ、『正倉院文書』や『本草和名』『倭名抄』などにその名が見られるため、わが国に伝えられたのは奈良時代から平安時代と考えられている。
日本におけるビワの歴史は明らかではないが、10世紀頃に著された『延喜式』や『本草和名』に記載があり、当時は比波とよばれたようである。
それは日本に自生のビワで、現在の栽培品種と比べて果実が小さく、食用としての利用価値は低かったと考えられる。
果実としての利用が高まったのは大果品種の茂木が育成されてからのことである。
茂木は天保~弘化(1830-48)のころに、貿易船によって中国から長崎にもたらされた果実の種子から育成されたものである。
この品種は在来のビワに比べて果実が大きく品質がよいため、明治の初期以降しだいに近隣に普及し、長崎県茂木地方で栽培がさかんになり、同地方は現在でも茂木ビワの特産地となっている。
いっぽう、茂木と並び称される大果品種の田中は、1879年に田中芳男が長崎から種子を東京に持ち帰って播種し、その実生中から選抜、育成したものである。
これも、もとは中国系のビワである。これら2品種は現在でも日本のビワの主要品種で、両者でビワ栽培面積の80%以上を占めている。
このように日本で栽培されている大果のビワ品種は、中国から渡来したビワの実生中から生じたものである。
明治以前のビワには品種がなく、大果のビワを唐ビワと称し、在来の小果のビワをヒワと称していたようである。
季題は「夏」枇杷。「冬」枇杷の花。「住みなれて今年は枇杷のなるらしき 七三郎」「枇杷むくや月さす縁にうつむきて 春梢女」などの句がある。
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形態
生態
- 生育環境
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温暖な気候を好む。冬期に開花結実するので寒害にかかりやすい。年平均気温15℃、最低気温-3℃以下のところは栽植不能。
土地を選ぶことの少ない果樹であるが、排水のよい、耕土の深い所が適地。
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- その他生態
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繫殖は接木による。台木は共台、植栽本数 10a あたり30本ぐらい。
樹の仕立て方は一般に盃状または変則主幹形仕立て。ビワは今年生長した新梢の頂に花芽が形成される。
芽かきにより枝の数を制限すると、今年結果した枝の基部から新梢が出、花芽をつける。
摘蕾、摘果、袋かけは重要作業。
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関連情報
- 味や食感
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果実は軟らかく傷みやすいので、収穫、運搬などはていねいに行う。
果肉が軟らかく多汁で甘味酸味がよく含まれるため生食に適しているが、長距離輸送や長期の保存には向かないので、季節的な果物である。
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