- 解説一覧
- スイカ(Citrullus lanatus)について

基本情報
- 生活形
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一年生のつる性植物
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 スイカ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 131.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 別名・方言名
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スイクワは西瓜の唐音であるといい、大阪では重箱読みにしてサイウリ、琉球ではカントウイと呼ぶ。
参考文献
- 柴田桂太 2001 スイカ, 柴田桂太(著) 資源植物辞典. 北隆館. 357-358.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 人間との関係
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スイカはアフリカ中部の砂漠地帯に野生種が分布し、古代にスーダンで栽培化されたといわれる。
エジプトでは約4000年前の画が残っており、当時は種子を食用にしたらしい。その後地中海地域で栽培が続けられている間に、果実を食べる作物として発達したものと考えられている。
中国へは11世紀にシルクロードを経て西域から入り、西瓜の名が生まれた。
中国ではあまり普及しなかったのか、日本への渡米はかなり遅れ、『農業全書』には「寛永の末(1640年頃)初めて其種子来り。其後ようやく諸州にひろまる」と記されている。
また一説には1595年(天正7)にカボチャと同時にポルトガル人がスイカの種子を長崎に伝えたとか、14世紀に僧義堂のスイカの詩があり、当時すでに来ていたともいわれる。
その後各地に広まり、天保改革令を出して、奢侈を禁止した水野忠邦が老中になった頃(1840年頃)は「日本総国に西瓜を作らざる処は稀なり」と書かれるほどになった。
明治初年、政府は欧米から多くの作物の種苗を導入した。
スイカについても、アメリカなどから種子を入れ、『船来穀菜目録』(1883年)にはアイスクリームなど8品種、『船来穀菜要覧』(1886年)にはアイスクリーム、オレンジなど15品種について特性などが記載されている。
そしてこのアイスクリームなどの品種が、現在のわが国のスイカの親品種になった。
大正年代に入ってから奈良県、次いで千葉県の農事試験場でスイカの品種改良が始められ、優秀な品種が育成され、関東大震災の年あたりから大衆野菜になり、需要は全国的に増加し、作付面積は急増した。
その後も栽培方法の工夫や品種の改良が進み、果肉の色が血の色に似ているなどと嫌われた明治時代以前と違って、夏を代表する果実になった。
昭和55年には、作付面積約35,000ヘクタール、収穫量約110万トンで、共にキュウリやナスなどよりも多く、果菜類の中では第1位を占めている。
【食べ方】
冷やして食べると爽やかで美味しい。果実は捨てるところがなく、果皮は味の良いピクルスになるし、種子は炒って食べることができる。
国によっては種子をつぶして食用油に加工する。
メロンと同じく、冷蔵しないとすぐ傷む。
タマネギや冷製肉と合わせてサラダにしたり、フルーツサラダにすると非常に美味しい。
果肉はシャーベットにする、凍らす、冷たいデザートにするなどが美味しい食べ方である。
中国の生産量は、ほかの全ての国の総生産量に匹敵する。中国では果皮を野菜炒めにして食べる。
アフリカなどのように種子をさまざまな食品に加工する国もある。
スイカは果実を食べるために栽培している果菜の1つであるが、中国では種子を食用にする慣習があり、種子用の品種も栽培されている。
また果汁は腎臓病の薬として古くから知られ、果汁を煮つめたものは西瓜糖として販売されている。
参考文献
- 青葉高 2013 スイカ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 76-83.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
形態
- 葉の形質
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裂片があり、毛で覆われた楕円形の葉は、縁が鋸歯状で、緑色の地の所々に小さな半透明の部分が見られる。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 スイカ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 131.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 果実の形質
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緑色に斑の入った果実は直径が 50 cmにも達し、大きな品種になると 20 kgにもなる。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 スイカ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 131.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
関連情報
- その他
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スイカは昨年栽培した畑に今年また植え付ける(これを連作と呼ぶ)と、病害が発生したりして順調に生育しない。このように同じ土地に同じ作物を続けて栽培するとその生育が甚だしく減少する現象を忌地(いやち)と呼んでいる。
この忌地の原因の1つは病害の関係で、同じ作物が植えられると、畑に残っていた病原菌が早くから寄生して病害が発生する。
このほか土壌線虫の増加、土壌栄養の欠乏、地中生物相の変化、有害物質が残される場合などもあり、現在まだ原因の明らかでない場合もある。
いずれにしても、スイカ、エンドウ、ナス、トマト、サトイモ、オカボなどでは忌地現象がみられる。
忌地を防ぐには連作を避ければよい。スイカ、エンドウなどは6年間ぐらい栽培しなければよいといわれている。
しかし耕作面積が狭いと難しい問題であり、接木栽培や土壌消毒などのさまざまな工夫がなされている。
耕地の広いヨーロッパなどでは、休閑年を設けてニ圃式、三圃式というやり方が行われるが、耕地の狭い日本ではそれほどの余裕はない。
そこで何年か間隔を空け、同じ作物を栽培するような輪作計画を立てて作付けするが、大産地になると休作期間は短くなり、連作のやむを得ぬことにもなる。
有名な松島ハクサイの大産地であった宮城県が、忌地のために数年で日本一の座を山形県、ついで茨城県に譲ったように、産地は移動することが多い。
近年農林水産省の指導で行っている指定産地制度や施設栽培は、野菜の計画生産と価格の安定化に大いに役立っているが、また連作障害を起こす原因にもなっている。
参考文献
- 青葉高 2013 スイカ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 76-83.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン