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ニホンカボチャ(Cucurbita moschata)の分類 Cucurbitaceae
ニホンカボチャ(Cucurbita moschata)の概要 Cucurbita

ニホンカボチャ(Cucurbita moschata)

【 学名 】
Cucurbita moschata (Duchesne) Duchesne ex Poir.

基本情報

生活形

一年生および多年生のつる性植物。

食用として利用されているカボチャは一年生である。

参考文献

  • 菅野紹雄 1994 カボチャ属, 北村文雄(著) 塚本洋太郎(監修) 園芸植物大事典1. 小学館. 504-505.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

原産地

南メキシコから中央アメリカの原産

参考文献

  • 伊澤一男 1998 カボチャ, 伊澤一男(著) 薬草カラー大事典:日本の薬用植物すべて. 主婦の友社. 454.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

分類学的位置付け

ウリ科に属する。

私たちがカボチャと呼んでいるものの中には、実は3つの植物学的な種が含まれている。そして、植物学的に同じ属に属する3つの種の間では相互に交配しても種子ができにくい。しかし野菜としての性質や栽培法、利用法などは3種とも似ているため、以前から1つの種類のように扱われてきた。

・ニホンカボチャ(ククルビタ・モスカタ)(Cucurita moschata)
・西洋カボチャ(クリカボチャ、ククルビタ・マキシマ)(C. maxima)
・ペポカボチャ(ククルビタ・ペポ )(C. pepo)

参考文献

  • 青葉高 2013 カボチャ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 83−93.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

人間との関係

ニホンカボチャはメキシコで紀元前5000年、ペルーで紀元前3000年の遺跡から種子が発見され、メキシコ南部から中央アメリカで栽培化されたものとみられる。

南北アメリカには古代から広まったがヨーロッパに伝わったのは16世紀で、その後もあまり普及していない。

中国には16世紀に伝わったものと思われ『本草鋼目』に初めて記述されている。

ニホンカボチャが日本へ渡来したのは1541年頃(天文10)と言われる。

江戸時代後期の農政学者佐藤信淵の著した『草木六部耕種法』によると、1541年(天文10)ポルトガル船が豊後(大分県)に漂着し、1548年(天文17)藩主大友宗鱗の許可を得て貿易を始めたが、この際カボチャを献じたのが日本のカボチャの最初としている。

そしてこれはシャム(タイ)の東のカンボチャ国で産したものであったため、カボチャと呼んだ。

大友宗鱗(義鎮)は有名なフランシスコ・ザビエルと交わり、キリスト教の洗礼をも受け、現在の大分市近くの日出の港を開港して貿易を行い、多くの作物の種子をも導入したといわれる。

しかしこれとは別に、長崎港にはルソン島からカボチャの種子が入り、これはスペイン語あるいはポルトガル語のアボブラ(Abobra)からなまってボウブラと呼ばれた。

その後1573年〜1591年(天正年間)には付近の農家で栽培され、唐人やオランダ人に販売するようになった(長崎夜話草)。

その後カボチャは国内の各地に伝播した。佐藤信淵によると、信淵の祖父歓菴扇は筑紫からカボチャの種子を秋田に持ち帰り、秋田では1620年(元和1)に栽培を始めた。

京都では延宝、1680年頃(天和年間)に栽培が始まったとされ(『大和本草』)、佐藤信淵によると、1665年頃(寛文年間)に津軽(青森県)で栽培していた菊座南瓜の種子を京都に持参し、これを栽培したところ、数年後現在の鹿ケ谷南瓜のような瓢形のカボチャに変わったという。

なお大正10年の各地の在来品種の調査結果を見ると、青森県には青森梅田、青森在来、青森強巻、青森菊座、瀬良沢菊座、青森千成などの在来品種が栽培され、秋田県には秋田在来があげられ、この地方には多くの在来品種があったことが知られる。

江戸では1720年頃、栽培する者がまれにいた程度で、一般に普及したのは1740年頃と言われている。

しかし古老の言い伝えでは、三代将軍家光の時代に、北品川東海寺の住職であった沢庵禅師が1638年(寛永15)に居木橋の名主、松原庄左衛門にカボチャを作らせたが、これがこの地方のカボチャの始まりと言われ、昭和初期まで関東地方で広く栽培された居木橋南瓜はここから生まれたという。

なお沢庵禅師はダイコンの沢庵漬の創始者として有名である。

カボチャには特有の臭いはなく、栄養価が高くて貯蔵しやすく、栽培がしやすいなどの理由から、比較的短期間に大衆的な野菜になり、カボチャ野郎などというような俗な言葉も生まれている。

生薬名は南瓜仁(なんかにん)、南瓜蒂(なんかてい)である。

【成分】
脂肪油40%を含み、リノール酸、パルミチン酸、その他、ビタミンC・B₁、ククルビチンなどを含む。へたの成分は未精査である。

【薬効と用い方】
・おできに用いる
へたの粉末をゴマ油で軟膏状に練ってつける。

・条虫駆除に用いる
種子の粉末1回 10~15 gを空腹時にそのまま服用する。

参考文献

  • 青葉高 2013 カボチャ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 83−93.
  • 伊澤一男 1998 カボチャ, 伊澤一男(著) 薬草カラー大事典:日本の薬用植物すべて. 主婦の友社. 454.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

形態

葉の形質

子葉は2個で、扁平、楕円形で、発芽後も長く残存する。葉身の色は濃緑色をしており、細毛が密に生ずる。

葉は濃緑色で葉脈の分岐点に沿って白色の斑点を現す。葉身は角張り、鋸歯は鮮明である。欠刻は浅く、不完全な裂片葉(3~5)を形成する。葉身及び葉柄に軟毛が多い。

参考文献

  • 菅野紹雄 1994 カボチャ属, 北村文雄(著) 塚本洋太郎(監修) 園芸植物大事典1. 小学館. 504-505.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

花の形質

黄色や橙色の雌花と雄花を付けるが、短命なので、雌花の柱頭への受精には、人工授粉が必要とされる場合が多い。

がく片は棍棒状、花柄の断面は不整の五角形をしている。

参考文献

  • バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 カボチャ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 196-197.
  • 菅野紹雄 1994 カボチャ属, 北村文雄(著) 塚本洋太郎(監修) 園芸植物大事典1. 小学館. 504-505.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

種子の形質

種子は灰白色、周辺部は灰褐色で少し肥厚する。珠柄痕は円形、まれに直線に近いものもある。

参考文献

  • 菅野紹雄 1994 カボチャ属, 北村文雄(著) 塚本洋太郎(監修) 園芸植物大事典1. 小学館. 504-505.

最終更新日:2020-05-29 ハリリセンボン

生態

その他生態

カボチャ属は一般的に収穫の時期(夏または冬)、または形によって分類される。

英語でパンプキンと呼ばれるカボチャは、カボチャ類のなかで熟すまで蔓につけておき、冬の間使う時まで保存できるものを指す。

皮は硬くて食べられないが、果肉は引き締まっていて夏に収穫する未熟なペポカボチャのほとんどの種類よりも味が優れている。

ズッキーニはペポカボチャから生まれた。

参考文献

  • バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 カボチャ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 196-197.

最終更新日:2020-05-28 ハリリセンボン

種・分類一覧