- 解説一覧
- エンドウ(Pisum sativum)について

基本情報
- 生活形
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一年生草本
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 原産地
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地中海地域
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 分類学的位置付け
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エンドウ属 マメ科 マメ亜科
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- 人間との関係
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【歴史】
紀元前3000頃のエンドウマメの遺物が、スイスの青銅器時代の村落の遺跡から見つかった。
古代ギリシア・ローマ時代にも栽培され、すぐにインド全域まで広がり、今でもインドでは人気が高い。
中世の頃、乾燥させたエンドウマメは、ヨーロッパ全土で貧しい人々の主食であった。
17世紀の終わりごろに、フランス宮廷の貴族の女性の間で、未熟なエンドウを生で食べることが急に流行した。
19世紀の終わりまで、缶詰用の野菜として人気があったが、1920年代から1930年代の冷凍野菜の出現によって、特にその保存方法に向いているものとして地位を確立した。
わが国では『和名抄』には野豆、豌豆、和名乃良末女として記され、『他識編』には乃良麻米、異名胡豆とある。
『庭訓往来』(1400年頃)には豌豆の音になぞらえて園豆とあり、古くから栽培されたらしい。
『物類称呼』には畿内にてノラマメ、東国にてエンドウ、伊勢にてブンドウと呼ぶとある。
しかしあまり重要な作物にはならなかったらしく、江戸時代の農書には詳しい記述はない。
明治16年発行の『舶来穀菜目録』を見ると米国、仏国、濠州から27品種のエンドウを導入し、これらの種子は北海道を始め各地で試作された。
また別に明治中期に入った、ブラック・アイド・マロ―ファットから、碓井という剥実エンドウ用品種が生まれるなど、外国の品種がわが国に定着し、冷涼地には30日絹莢、暖地には仏国大莢など莢エンドウの栽培も行われるようになった。
しかし栽培の主体は穀類としてのエンドウで、明治末頃は全国のエンドウの作付面積は3万町歩、昭和初期には6万町歩に達した。
【食べ方】
生のエンドウマメは急速に劣化するため、できるだけ新鮮なうちに食べるようにする。
フランスでは新鮮なエンドウマメをレタスの葉と一緒に静かに煮込む。
イングランドでは茹でて、バターとミントを添えて出す。伝統的な乾燥マメを使ったイングランドの料理では、エンドウマメとハムのスープ、エンドウマメのプディング、硬い莢を使った莢のスープなどがある。
【食用以外での利用】
老いた苗や豆穀は家畜の餌にする。昔は田の肥料にその苗を入れることが多かった。
参考文献
- 青葉高 2013 エンドウ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 123₋127.
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
- 柴田桂太 2001 エンドウ, 柴田桂太(著) 資源植物辞典. 北隆館. 79₋80.
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形態
- 葉の形質
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全裂状の葉は4~6枚の対になった小葉と、円い葉の組み合わせである。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
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- 花の形質
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派手なチョウのような花が咲く。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
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- 果実の形質
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平たい楕円形の莢である。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
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- 種子の形質
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緑、黄色、赤褐、黒褐、黒、暗紫などがあり、斑入もあってさまざまである。形も円いものから角張ったもの、大小さまざまである。
参考文献
- 柴田桂太 2001 エンドウ, 柴田桂太(著) 資源植物辞典. 北隆館. 79₋80.
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生態
- その他生態
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豆類の中で最も寒さに耐え、最も先に熟する。
関東以西では秋に種子を下ろして、夏のまだ暑くならないうちに取り入れるが、東北や北海道では春に播いて晩夏の頃に収穫する。今日北海道が第1の産地になったことも、その気候が適しているからである。
参考文献
- 柴田桂太 2001 エンドウ, 柴田桂太(著) 資源植物辞典. 北隆館. 79₋80.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
関連情報
- 研究されているテーマ
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今のチェコ、モラヴィア地方で生まれたメンデルは、神学を勉強し、ブリュンの僧院で教師をするかたわら、種々の実験や調査を行った。
僧院の畑に植えられたエンドウについて種子の形が円いか角張っているか、花の色が赤紫色か白色か、また種皮の色や胚乳の色などの形質の異なるものの間の雑種を作り、雑種1代目とその自殖により生じた2代目の形質を調査した。
そして8年間にわたる綿密な観察と卓越した新しい考え方による考察によって、有名な遺伝の法則が生まれた。
この研究結果は1865年の2、3月の2回「雑種植物の研究」としてブリュンの博物学会で発表し、紀要に印刷されて各所に配布もした。
しかし、この研究結果が、当時誰も主張しなかった全く新しい学説であったことと、メンデルの名があまり知られていなかったことから、当時は誰からも認められなかった。
そして論文発表から35年目の1900年(メンデルは既に1884年1月、61歳で永眠している)オランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマックの3人の学者のそれぞれの実験結果から、メンデルの業績の重要さが認められた。
この19世紀最後の年に劇的に再発見されたメンデルの考え方は、遺伝学の最も基礎になる法則になり、このいわゆるメンデリズムはその後の遺伝学発展の扉を開くものになった。
なおメンデルは、エンドウによく似た特性をもつツルナシインゲンについてもエンドウと同様な実験を行い、「雑種植物の研究」の後半でその研究結果を報告している。
参考文献
- 青葉高 2013 エンドウ, 青葉高(著) 日本の野菜文化史事典. 八坂書房. 123₋127.
最終更新日:2020-05-19 ハリリセンボン
- その他
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エンドウマメが華やかな野菜と思われることは少ない。それにも関わらず、あちこちで激しい情熱を掻き立ててきた。
園芸を愛好したトマス・ジェファーソンは、エンドウマメが大好物であった。
毎年、近所の友人たちと、誰が一番早くエンドウマメを実らせるかを競っていた。勝者はほかの人々を集めて勝利の晩餐を振る舞い、その年初のエンドウマメを披露する約束だった。
いつも決まってジョージ・ダイバーズ氏が勝者であったが、ある年、ジェファーソンのエンドウマメが先に実った。家族に勝利の晩餐を開くのかと訊かれたジェファーソンは、寛大にもその権利を放棄した。
いつでも自分のエンドウマメが一番と思える方が、ダイバーズにとって幸せであろうと考えたからである。
参考文献
- バーバラ・サンティッチ/ジェフ・ブライアント 2012 エンドウ, バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント(著) 世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理. 柊風舎. 207.
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