- 解説一覧
- シラウオ(Salangichthys microdon)について
基本情報
- 分布
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北海道から、太平洋側では紀伊半島まで、日本海側では佐賀県までと、岡山と有明海に分布。海外では、樺太、ウラジオストク〜釜山、揚子江河口で報告がある。
参考文献
最終更新日:2020-06-14 En
- 人間との関係
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季題は<春>
「明けぼのや 魚白き こと一寸 芭蕉」
「ふるいよせて白魚崩れんばかりなり 漱石」
「白魚の 漁火となん 雪の中 花蓑」
「白魚や まじりたる藻の 透きとほり 中村汀女」
「野菜くさくさ他に白魚も少しあり 虚子」
『大和本草』に「大坂伊勢所々ニアリ味ヨシホシテ串ニサシタルヲ目サシト云遠ニオクル珍味トス」とある。
『魚鑑』にもあるように伊勢は古くからシラウオの産地で、長島城主から将軍家へ、まっすぐに伸びたシラウオの目刺しが献上されたという。
シラウオには徳川家にまつわる話が多い。シラウオの頭には徳川家の葵の紋がついており、家康の生まれ故郷三河(愛知)に産するシラウオが江戸までついてきたのだとか、家康が隅田川に移植したので、恩義を感じて葵の紋をつけたのだとかいう俗説があるが、シラウオは透明であるため脳髄が透き通って紋のように見えたものと考えられる。
1601年、徳川家康が上総国東金へ鷹狩りに行った折、浅草側の漁夫がシラウオを献上した。以来、京橋に白魚屋敷が建てられ、白魚役が任命されたという。その後、1867年、白魚役庄五郎は物価の値上がりや世情不安で困窮している漁夫たちのために、手当の割り増しを願う文書を幕府御賄頭に提出し、その文書が残っている。
岡本綺堂は文芸雑誌『新小説』12巻のなかで、家康とシラウオについて次のように記している。1613年の冬、佃島の漁師が隅田川で、それまで見たこともない魚をとった。摂州生まれの漁師が、「三河に産するシラウオかもしれない。だとすると、将軍家の葵の紋が頭についているはずだ」というので、調べてみるとその通りだった。
早速将軍家に届けると、家康は大変な吉兆であると喜び、以来、初物は必ず将軍家に献上する習わしになり、これは1867年まで続いたという。献上のシラウオは朱塗りの箱に入れられ、表に金文字で「御用白魚」としたため、それを黒塗りの挟み箱に入れて運んだ。この挟み箱を担ぐ者は大名行列を横切っても咎められなかった。
また、佃島のシラウオは将軍家に献上するものとし、家康の死後も、それ以外に取ることは許されなかったという。
『甲子夜話』にはシラウオの移植の話が紹介されている。徳川光圀が隅田川のシラウオを乾燥させたものを常陸国の川の中に埋めると、翌年隅田川のものと同じシラウオが生まれた。また、吉宗は伊勢から乾燥させたものを取り寄せて川にまき、それが隅田川のシラウオになったというものである。時代が前後しているので、どちらが本当なのかわからないとしているが、乾燥させたものから仔が産まれるとは植物的な発想である。
『百魚譜』の一節に、「月もおぼろに白魚の、篝も霞む春の空」というのがあり、歌舞伎の『三人吉三廓初買』のせりふとしても知られているが、これは江戸時代に隅田川で行われていたシラウオ漁の情景を謳ったものである。シラウオ漁はおぼろ月夜のような暗い夜に行われ、かがり火を焚いて魚を集め、大きな網ですくい上げる。
隅田川では明治時代中頃までシラウオがたくさんとれ、その季節には桜草も名物だった。尾久あたりに桜草を摘みにいった人々が、シラウオを土産に持ち帰ったり、シラウオを取りにいって桜草も摘み、紅白の恵みを手にして帰ることもあったという。
佃島のシラウオは江戸時代から明治時代の終わりごろまでもてはやされ、毎年1月17日の家康の命日には「御神酒流し」といって、佃島の住吉神社の神主や囃子方が舟に乗り込み、御神酒を川に流して清めを行っていた。
参考文献
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形態
- 成魚の形質
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体は細長くやや側扁し、頭は著しく縦扁する。臀鰭基底付近が張り出している。
背鰭は1基で11〜15軟条。臀鰭は24〜29軟条。背鰭の後方に小さな脂鰭がある。
メスにうろこはない。オスも臀鰭基底上側の体側部に、15枚前後のうろこが一列に並ぶのみである。
二次性徴が見られる。オスでは胸鰭と腹鰭が小さく、縁辺部が角ばる。臀鰭の中央部が深く凹む。メスは胸鰭と腹鰭が小さく、臀鰭の中央部が凹まない。体は透明で、体側腹面に黒点が2列に並ぶ。
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生態
- ライフサイクル
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早春、砂の多い川の下流域に高密度の産卵群が溯上する。
孵化直後の仔魚は、全長 5 ㎜前後で細長い卵黄を腹面にもつ。
孵化後3日で全長 6 ㎜を超え、口が開いて摂餌を始める。
孵化後12日で全長 8 ㎜近くになり、卵黄は完全に吸収される。
仔稚魚は河口の汽水域や海に入って成長を続け、生まれた翌年の3月には全長 7 ㎝前後になって成熟する。
降海型の個体では、メスが全長 10 ㎝、オスは 9 ㎝前後に達する。
陸封型の個体は小型で、雌雄とも 7 ㎝前後までしか成長しない。シラウオの寿命は1年で、親魚は産卵・放精後に斃死する。
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- 産卵
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産卵群は、水深 2〜3 m以浅で、粒径が 0.25 ㎜以上の砂である川床に産卵する。
産卵個体の魚体は産卵期の初めに大きく、産卵期が終わりに近づくに連れて小型になる。孕卵数は陸封型で700粒前後、降海型で1000〜2500粒程度である。
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関連情報
- その他
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本種は汽水湖・河口域いずれの水域においても、生活史を完結している。
特に河川では塩水楔にしたがって上流まで分布するときがあるが、塩水楔がないときには河口外の砕波帯に分布する。すなわち本種は遡上回遊魚ではなく、感潮域の発達に伴って分布域を伸縮させる汽水魚といっていい。
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